1 はじめに
賃貸マンションのオーナーの中には、マンション一室をより高値で売却するために、賃借人を立ち退かせることを検討している方や、老朽化したマンションの建替えのために、賃借人全員を立ち退かせることを検討している方もいることと思います。ところが、賃借人を立ち退かせることは容易ではないため、当事務所にも、どのように立退きを進めたらよいか、困っているマンションオーナーからの相談が多く寄せられています。
本トピックスでは、主に賃貸マンションのオーナーの立場から、①マンション1室から賃借人を立ち退かせる場合と、②マンション1棟からすべての賃借人を立ち退かせる場合とに分けて、その方法と成功のポイントについてご説明いたします。
2 賃貸マンション1室の立退き
(1)賃貸マンション1室の立退きのメリット・デメリット
最近は、収益物件として、都心のマンション1室を所有している方も多くいらっしゃいます。そのような方にとって、賃借人の立退きに関するメリットとデメリットを把握しておくことは、特に重要な問題といえるでしょう。
ア 立退きを実現させるメリット
(ア)より高値で売却しやすくなる
賃借人がいる居室を売却する場合、一般的には、空室の場合に比して、売却価格が安くなります。その理由は主として、賃借人がいる居室を購入した場合、購入者は、自由に使用処分できないからです。そのため、あらかじめ売主(=賃貸人)において、賃借人がいない状態にしておくことで、高く売却できる可能性があります。また、買主候補者に、自己使用する者も含まれるため、より売却先候補が広がるという利点もあります。
(イ)居室を自己使用できる
賃借人が退去すれば、賃貸人自身や賃貸人の親族を、その居室に住まわせることができるようになります。
イ 立退きのデメリット
継続的な収益がなくなる
賃借人との賃貸借契約を終了させ、居室から退去させた場合は、賃料収入がなくなり、固定資産税等の負担のみが残り、経済的に厳しい状況になります。
このように、賃貸マンション1室の立退きを請求することには、メリットとデメリットがあります。
「継続的な収益がなくなる」というのは、マンション経営をされている方からすると死活問題に感じられるかもしれませんが、例えば、マンション1室の売却を考えている場合は、空室のほうが高値で売却することができますので、長期的視野にたつと、経済的な利益を多く得ることが可能な場合も多いです。
賃借人に対して立退き請求をするか否かについては、状況に即してメリット・デメリットを考えながら、冷静に分析して判断すべきです。
(2)賃貸マンション1室の立退きを実現する方法
賃貸マンション1室の立退きを実現するためには、賃借人との任意交渉によって立退きの合意をするか、または訴訟によって立ち退かせる方法があります。
ア 任意交渉について
賃借人が任意に居室から立ち退くように交渉を進めます。
任意交渉による立退きが成功しなかった場合、賃借人を立ち退かせるには、訴訟提起を行う必要があるため、任意交渉の段階から、訴訟を見据えた交渉を意識しておくことが重要です。
任意交渉においては、賃借人と粘り強く、立退きの時期や立退料等、立退きの条件について交渉を重ねます。オーナーの事情について、理解のある賃借人の場合は、任意交渉による立退きを受け入れて、スムーズに退去することもありますが、過度な期待はできません。
イ 訴訟について
任意交渉が奏功しない場合、賃借人に対し、建物明渡を請求する訴訟を提起します。建物明渡の勝訴判決が確定すれば、立退きを実現することができます。
他方で、訴訟の場合、裁判の期日は1~1.5ヶ月に一度程度の頻度で進行するため、第一審(地方裁判所)の判決が出るまで、通常1年~1年半程度かかります。仮に高等裁判所、最高裁判所まで裁判が進んだ場合は、3年以上を費やすこともあります。
そのため、一刻も早い立退きを実現したい場合には、できる限り任意交渉により、立退きを実現することが重要です。
なお、任意交渉が奏功しない場合、すぐに訴訟提起を行うのではなく、裁判所での調停を申し立てる方法もあります。裁判所での調停は、調停官の関与のもと、建設的な話し合いをすることが期待できますが、お互いが合意できないと調停は成立せず、訴訟提起に踏み切らなければなりません。
(3)賃貸マンション1室の立退きを実現するために必要な正当事由
立退き請求の訴訟においては、「正当事由」の有無が争点になるケースが多くあります。(なお、長期の賃料滞納など、賃借人側に著しい債務不履行がある場合は、「正当事由」の有無を議論することなく、契約解除が認められることもあります。
(建物立退きマニュアル「借家人が契約違反をした場合の立退き方法」をご参照ください。)
「正当事由」とは、賃貸借契約を終了させ居室からの立退きを認めることが、借地借家法第28条に照らして妥当と認められる理由のことですが、ここでは、賃貸マンション1室の立退きとの関係での「正当事由」について解説します。
賃貸マンション1室の立退き請求の際に、正当事由として考慮される要素は、概ね以下の通りです。(借地借家法第28条)
ア 賃貸人及び賃借人が居室の使用を必要とする事情
イ 居室の賃貸借に関する従前の経過
ウ 居室の利用状況
エ 居室の現況
オ 立退料
ア 賃貸人及び賃借人が居室の使用を必要とする事情
マンションの居室に、賃貸人自らやその家族等が居住する必要性が大きい場合には、正当事由が肯定されやすくなります。障がい者や高齢の家族を居住させる必要がある場合等にも正当事由が肯定される事情になり得ます。他方、賃借人が居室に居住する必要性が大きい場合(例えば、賃借人の職場や学校から近いという事情等)は、正当事由が否定される方向に働きます。
イ 居室の賃貸借に関する従前の経過
賃貸借契約に至る経緯や契約期間、賃料、賃貸借契約期間中の賃貸人・賃借人の関係性等を考慮します。
ウ 居室の利用状況
賃借人の居室の利用状況(用法違反の有無、利用頻度等)を考慮します。
エ 居室の現況
老朽化の程度や、修繕の必要性、修繕費等を考慮します。
オ 立退料
立退料については、本トピックスの、「4 賃貸マンションの立退きのために必要な立退料」で解説します。
(4)賃貸マンション一室の立退きのまとめ
任意交渉や訴訟を通じて、効率的かつ迅速な立退きを実現するためには、全体の見通しを持ち、各事案ごとに最適な流れを構築することが重要です。そのため、立退き請求を行う際は、専門家である弁護士に早めに相談することをおすすめします。
3 賃貸マンション1棟の立退き
賃貸マンション1棟の立退きを実現するメリット・デメリット
老朽化した賃貸マンション1棟を所有しているオーナーにとっては、賃借人全員を立ち退かせ、賃貸マンション1棟をすべて空室にすることは特に重要な問題です。大きなメリットがある反面、デメリットにも注意が必要です。
ア 立退きを実現するメリット
(ア)マンションを建て替えることができる
万が一、老朽化した建物より外壁の一部が路上に落下し、路上を通行する人に傷害を負わせた場合等には、建物の所有者は、損害賠償責任を負う可能性があります(民法717条1項)。
老朽化した賃貸マンション1棟のオーナーとしては、このようなことが起きないように、老朽化したマンションを取り壊し、マンションを建て替えることを検討します。
他にも、マンションを建て替えることで、将来の相続税対策になることもあります。
(イ)土地をより高値で売却しやすくなる
老朽化した賃貸マンションの場合、賃借人付でマンションを売却するよりも、マンションを取り壊し、土地を更地として売却したほうが、より高値で売却できる場合も少なくありません。
(ウ)収益性を向上できる
老朽化した賃貸マンションを取り壊して新しい賃貸マンションを建築することで、賃料が上がり、収益性を向上できます。
イ 立退きのデメリット
継続的な収益がなくなる
賃貸マンション1室の場合と同様ですが、賃借人との賃貸借契約を終了させ建物から立ち退かせた場合、賃料収入を得ることができなくなります。
賃貸マンション1棟の場合、各賃借人ごとに立退きが完了するまでに要する時間が異なります。短期間で全賃借人の立退きを実現することは容易ではなく、全賃借人の立退きが完了するまで、徐々に収益が下がります。
(2)賃貸マンション1棟の立退きを実現する方法
賃貸マンション1棟の立退き請求についても、各賃借人との任意交渉によって立退きの合意をするか、または訴訟によって立ち退かせる方法があります。
ア 任意交渉について
個々の賃借人に対しては、マンション1室の立退きの場合と同様に任意交渉を行います。賃借人が徐々に減るため、全ての立退きが完了するまで、賃料収入が減り続けます。ただ漫然と立退き交渉を各賃借人に対して行うのではなく、計画性(数年単位の長期的計画となることもあります。)を持って、立退き交渉を行うことが重要です。
また、各賃借人ごとに、様々な事情があるため、任意交渉を行う際は、各賃借人ごとの個別の事情にも向き合って、立退き交渉を行いますが、相当に骨が折れます。例えば、賃借人の事情を聞いたうえで、賃借人によっては定期借家契約に変更していくこともあります。定期借家契約は、契約の更新ができない契約ですので、期間満了とともに賃借人は立ち退くこととなります。
イ 訴訟について
賃借人の一部との間では、任意交渉による立退きが奏功しないことがあります。この場合は、訴訟を提起し、立退きを求めます。賃借人の多くを相手に立退きの訴訟を提起するのは、現実的ではなく、またすべてに勝訴するのは困難です。長期的計画に基づいて立退きの任意交渉を行い、どうしても立ち退かない少数の賃借人に対して訴訟を提起します。
(3)賃貸マンション1棟の立退きを実現するために必要な正当事由
賃貸マンション1室の立退きにおける正当事由に加え、賃貸マンション1棟の立退きにおいては、正当事由として、以下の要素も考えられます。
ア 建替えの必要性
イ 建替計画(有効利用計画)の具体性
ウ 賃借人の多くがすでに退去しているか退去予定であること
ア 建替えの必要性
マンションの老朽化による建替えの必要性がある場合は、正当事由を肯定する事情となります。建替えの必要性の有無は、耐震性能の程度や地盤沈下等により現実に倒壊の危険性が生じているか等、客観的な観点から判断されます。さらに、そのような危険性を補強工事によって克服することができないかという視点も考慮されます。
イ 建替計画(有効利用計画)の具体性
賃貸マンション1棟の立退きが完了した後の、具体的な建替計画(有効利用計画)がある場合は、正当事由を肯定する事情となります。
そのため、立退き請求をするにあたっては、事前準備として、建築業者を選定し、具体的に建替えに向けた計画(設計プランや見積書、収支計画の作成等)を策定しておく他、建替えのための資金調達方法を決めておくなど、計画に具体性を持たせることが重要です。
ウ 賃借人の多くがすでに退去しているか退去予定であること
賃借人の多くがすでに退去しているか退去予定である場合は、一部の少数の賃借人が当該マンションに居住し続ける必要性は乏しいものです。反対に、賃借人の多くが残っており、退去予定もない場合は、裁判所としても、本当に賃借人全員を退去させる必要性があるのかを厳しい目で判断します。
そのため、訴訟提起前の任意交渉により、できる限り多くの賃借人に対して、立退きを進めることが重要です。
(4)賃貸マンション1棟の立退きのまとめ
賃貸マンション1棟の立退きの場合、賃借人全てを立ち退かせないと目的を達成できませんが、ひとたび立退き交渉に着手すると、徐々に賃料収入も減っていくことから、適切な計画を立て、立退き交渉に着手する必要があります。
そのため、賃貸マンション1棟の立退きを行うにあたって、どのようなスケジュールや戦略で進めるかを検討する際には、法律専門家である弁護士、特に立退き問題を多く取り扱っている弁護士や法律事務所に早めに相談することをおすすめします。
4 賃貸マンションの立退きのために必要な立退料
前述した「正当事由」を補完する要素として、賃貸人が賃借人に対して、「立退料」を払うことが一般的です。ここでは立退料の考え方についてご説明します。
① 月額賃料を基準とする方法
例えば、賃料の6ヶ月分を立退料とする、というように、数か月~数年分の月額賃料を立退料として支払います。
② 損失補償方式について
立退きに伴う賃借人の損失を補償します。家賃差額補償や物件移転補償などがあります。
③ 借家権価格方式について
借家権価格を立退料とします。借家権価格の算定方法はいくつかありますが、例えば割合方式は、以下の計算式で算出します。
借家権価格=賃貸物件の敷地の更地価格×借地権割合×借家権割合
+建物の評価額×借家権割合
上記①ないし③の方法をどのように使い分けるかについて、絶対的な基準はありません。裁判例を総覧すると、立退料を算定するにあたって、当事者が主張する算定方法を採用したり、不動産鑑定士による鑑定で採用された算定方法を斟酌したり、事案によって様々であるのが実情です。
立退料に関する詳細は、立退きマニュアル「貸し建物の立退料の考え方」「貸し建物の立退料の算定方法」「貸し建物の立退料に関する裁判例」もご覧ください。
5 賃貸マンションの立退きの実例紹介
当事務所で取り扱った賃貸マンションの立退き事案は多岐にわたりますが、例えば以下のようなものがあります。
各事例のリンク先をご覧下さい。
6 賃貸マンションの立退きにおける課題と成功のポイント
賃貸マンション1室または1棟のオーナーとしては、立退きを検討する際、借地借家法によって、賃借人が強く保護されているということを意識し、立退き交渉に着手することが重要です。
そして、交渉に着手する際は、ただ漫然と行うのではなく、適切に計画を立てる必要があります。
さらに、訴訟に発展することもあるため、将来提訴して立退きを実現するためには、現在どのように立退き交渉を行えばよいか、といった観点も重要です。
訴訟のことも意識して立退き交渉を行う場合、立退きの実務に詳しい弁護士のアドバイスが重要となりますので、賃貸マンションの立退きを成功させるためには、立退きの計画を立てる段階から、弁護士に相談するのが良いでしょう。
7 賃貸マンションの立退きに関するよくある質問と回答
Q 賃貸借契約書では、賃貸人からの解約申入れの期間を「3ヶ月前まで」としていますが、この場合には3ヶ月前までに解約申し入れをすれば有効ですか?
A 有効ではありません。
借地借家法によると、賃貸人からの解約申入れは、期間満了の1年前から6ヶ月前までの間にする必要があります(借地借家法26条1項)。仮に契約書で、解約申入れの期間を「3ヶ月前まで」と定めて賃貸人・賃借人双方が合意していても、借地借家法の規定に反する特約で、建物の賃借人に不利なものは無効となり(借地借家法30条)、解約申入れの期間は、「6ヶ月前まで」となります。
Q 「正当事由」に該当する事情はないのですが、立退料を支払うことで賃借人に立ち退いてもらうことは可能ですか?
A 任意交渉であれば、賃借人の立退きに成功する可能性があります。
立退料は、正当事由の補完要素であり、正当事由に該当する事情が全く存在しない場合に、裁判で立退料を支払うことを主張したとしても、立退き請求は認められません。もっとも、任意交渉の段階では、賃貸人と賃借人との間で合意が成立すれば、賃借人に立ち退いてもらうことは可能です。賃貸人が賃借人に対して誠実に説明し、一定の立退料を支払うことで、立退きの合意ができることもあります。
8 賃貸マンションの立退きのまとめ
賃貸マンションの賃借人に対する立退きを成功させるためには、将来的な訴訟も見据えて、適切に計画を立て、立退き交渉を開始することが重要です。
賃貸マンションの立退き請求をご検討中の方は、立退きに関する紛争について精通した弁護士が多く在籍する当事務所まで是非一度ご相談ください。